ポーター 『数値と客観性』

Caveat: 訳文についての疑問は読んでいて気になった個所についてしか確認していない.これ以外の箇所が正しいか正しくないかについてまた,これらの訂正が正しいかは,ご自分で判断されたし.

Porter, Theodore M., 1996, Trust in Numbers: The Pursuit of Objectivity in Science and Public Life, Princeton University Press.(=2013,藤垣裕子訳『数値と客観性』みすず書房).
Ch.1

Important as standardization has been to well-established sciences without close ties to applications, they can accomplish much without it.p.32

訳文:「標準化は,応用と緊密な関係をもたずして確立した科学にとって重要だったので,そうした科学分野は応用との緊密な関係なしにさまざまなことを達成することができた」p.55-6

これは,「標準化は応用と緊密な関係を持たずして確立した科学にとっても標準化は重要なものであったけれども,応用は標準化なしに様々なことを達成することができた」,ではないのか?

Ch.2

If manufacturers or environmentalists think the measurement process is unreliable or, worse, biased, it may well break down. p.33

「もしも工場主や環境保護派のひとびとが,測定プロセスが信頼できない,間違っている,偏っていると考えるならば,信頼関係はこわれてしまうかもしれない」57
itはthe measurement processを受けているのでは?信頼関係という訳はitが"public relations"を受けているとした訳だろう.
「その測定プロセスはつかいものにならなくなってしまうかもしれない」

The prefects, newly installed and badly overworked, were baffled and overwhelmed by these demands. 35

邦訳だと「新たに設置されて加重負担を強いられていた県」になっているが,前と同じように「県の知事」だろう.

訳:ほど遠い状況です. p.63
原文:So far from that, I would rather trust a society with moderate tables and good rules, than a high one with bad rules. p.38
“So far from that”を「ほど遠い状況です」と訳しているが,ここでは前でいわれている「表が重要で,それを補足するために規則が必要だ」,という見方より,「規則が重要で,表はそれほどでもない」ということを示すために「それどころか」くらいの意味では?

訳:生命保険を,仮病によって請求することは難しかった.このため,操作されていない,信頼のおける定量化を期待できるのは好都合であった. p.64
原文:Life insurance was somehow less vulnerable to malingering, and the prospect of reliable quantification without intervention was correspondingly favorable. p.39
「介入なしに信頼のおける定量化の見込みは順調であった」くらいでは?

訳:産業化が進んだ西欧諸国では,マルクス主義社会主義の名の下に形成された中央計画経済の国と同じように,定量化は市場介入の方策の一部であり,単なる記述ではなかった.p.69
原文:In the industrialized West, as in the centrally planned economies formed in the name of Marxist socialism, quantification has been part of a strategy of intervention, not merely of description. p.43
「国と同じように」ではなくて「中央計画経済でもみれるように」程度では?国の比較ではないと思われる.

訳:学校における成績,標準化された試験での点数,そして企業の収益報告の最下行に示される最終損益は,それらの妥当性が,少なく道理にかなっていることが,測るべきと主張する業績や価値を有するひとびとに受け入れられなければ,機能を発揮しない.p.72
原文:Grades in school, scores on standardized examinations, and the bottom line on an accounting sheet cannot work effectively unless their validity, or at least reasonableness, is accepted by the people whose accomplishments or worth they purport to measure. p.45
they purport to measureのtheyはtheir validityのtheirを受けているはず.それゆえ,「それらの尺度が測っているといいたてている業績や価値を所有する人に受け入れられなければ,効率的には働かない」くらい.「測るべき」とすると,「べき」がどこから出てきたのかわからなくなる.

第三章
訳文:初学者や外部者はときおり,物理学を数学と混同してしまう.この外部者のなかには,ほとんどの社会科学者が含まれる.社会科学者は,自然科学の達成や,それらの達成が人間に関する研究に何を意味するかについてとにかく考えてきた.77
原文:This is especially true of physics, the currently reigning queen of the sciences, which beginners and other outsiders sometimes confuse with mathematics. This class of outsiders includes most social scientists who have thought at all about the achievements of natural science and their implications for human studies. p.49
most social scientists, who have thoughtなら上の訳文でいいかもしれないが,ここでは制限用法が用いられているので,訳文を分けてはまずい.「これらの外部者にはなにかしら自然科学の達成物やそれらの人文学への含みについて考察してきた社会科学者のほとんどを含む」.

訳文:十八世紀の終わりになってさえ,実験科学は,測定の倫理に魅了されていたが,実験科学の世界は,正確な理論と同じくらい密接に,商業や行政の実践的世界と結び付いていた.78
原文:Even at the end of the eighteenth century, when the experimental sciences were won over to an ethic of measurement, that life remained as closely allied to the practical world of commerce and administration as to exact theory. p.50
as closely allied to ~ as toなので,「厳密な理論へと同じくらい密接に」では?測定の倫理に「魅了される」というとどっちにつこうとしていたのか,が明確にはならない気がするのでもう少し「なびいていた?」など?うまい日本語がわかない.

訳文:そしていずれにしろ,どちらの理論が正しいかを決めるために精度の高い測定を行うことは,これまで全く繰り返されてきてはいない.
原文:And in any case, the use of exact measurement to decide between theories is not at all routine.
いずれにせよ,どちらの理論が正しいのかを決めるために精度の高い測定を用いることはけっして通常行われることではなかった.ではないのか?

訳文:数学をリカードの政治経済学と結び付けることは,「数学を無意味にしてしまう」. 81
原文:To join mathematics to Ricardian political economy would be to “make nonsense of it.” p.52
itがmathematicsを受けているならそうかもしれない.しかしここで,数学とリカード派を結びつけようとしているのは,ヒューウェルなのだから,「数学とリカード派の政治経済学を結び付けるのは,リカード派の政治経済学をばかげたものにするため」なのでは?

訳文:ひとたびそのような仮定が露呈し,明示されれば,リカードの質的な研究成果は,ジョーンズのような人物による歴史的かつ実証的な研究に対抗するものとして評価されてしまいかねない.82
原文:Once exposed and made explicit, Ricardo’s qualitative findings could be judged against historical and empirical work of men such as Jones. p.53
訳文では,リカードの政治経済学とジョーンズの研究を対象するのは問題であると,ヒューウェルが考えていたかのような書きぶりだが,そうではない.ひとたびさらされ,明らかにされれば,リカードの質的な研究成果は,ジョーンズのような人物による歴史的かつ実証的研究と照らし合わせて判断することが可能になる.

訳文:ウィリアム・トムソンは電信のしくみを設計する際に,エネルギーの計算と金額の計算をどのように組み合わせるともっとも効率がよいかを示した.電線のなかを信号が伝わる際に生じる減速度をどのように計算するかが決まると,その計算式は,「電線と電線を被膜する素材の規格を決めるための,簡単に計算可能な経済学的な問題となった.つまり,銅,グッタペルカ樹脂,鉄の定価が分かれば,最初の初期費用で実現できる一定の速度を計算することが可能である」と書いている.86
原文:William Thomson showed how energetic and monetary calculations could be combined to reach an optimum in telegraphy. Having determined how to calculate the retardation of signals in a wire, it became “an economical problem, easily solved . . . to determine the dimensions of wire and covering which, with stated prices of copper, gutta-percha, and iron, will give a stated rapidity of action with the smallest initial expense.” 56
訳ではitが「計算式」を受けたことになっているが,計算式という言葉は原文にはない.「電線のなかを信号が伝わる際の減速度をどのように計算するかを決めてしまえば,最適に達するというのは経済学的な問題となる」くらいでは?

訳文:このようにして,私たちはエネルギー計算の利点に気づきはじめた.計算は貧しい労働者階級の同胞,特に,もとは現実のものにしか関心がなく情に薄かった慈善家のために有益であることが分かった.
原文:With this we begin to discover the benefits of energetic calculations for friends of the poor and working classes, especially those philanthropists hailing from the Gradgrind school. 56
貧しい労働者の同胞という訳だと分かりにくいので,支援者くらいでいいのではないか.

訳:社会の慣習は,〔政治を〕倫理の科学として扱う.時間がたてばそれがより的確なものになるだろう,とわれわれは確信している.政治は,論証の方法を分析や幾何学から参照することによって,現在は不足している正確さを今後増すことができるだろう.
原文:“Custom treats [politics] as a moral science: time, we are convinced, will make it an exact one, borrowing its methods of reasoning from analysis and geometry, to give its demonstrations a precision they now lack.” 62
Moral scienceは自然科学に対置される「道徳科学」であって倫理の科学ではない.「分析」より「解析」のほうが文脈上適しているのでは.論証にかけている精度だろう.この本はAccuracyとPrecisionが同時に出てくるので,訳語を固定しておいた方がいいのでは.前半部分のmethods of reasoningは推論の方法程度では?

第4章
訳:明らかに誤った方式やあるいは検証不能な定説からなる方式が,自由な信念からではなく国家権力によって生み出されたのであれば,それは個人の自由を大切にするすべてのひとにとって,明らかに道徳的な含意をもつのである.108
原文:A system of demonstrably false or untestable dogmas, the product of state power and not of free persuasion, has obvious moral implications to anyone concerned about individual freedom. 74
ここのsystemは体系くらいでいいのでは?まえ二つは同格でつながっているので,訳文で述べられている条件文の形で訳していいのか?

訳:多くの,おそらくはほとんどの人口統計を扱う研究は,労働者や,子ども,物乞い,犯罪者,女性,人種的・民族的マイノリティのおかれた状況を改善することを目的としている.社会統計や社会調査の先駆者たちが書いたもの,特に私的な文章は,博愛と善意にあふれている.しかし,印刷物になると,彼らは概して実際的な事実にもとづいた文体を用いて,女性も男性と同様に,科学的な社会調査を遂行する役割をになうと仮定し,単なる慈善家として扱うことはなかった.
原文:Much, probably most, statistical study of human populations has aimed to improve the condition of working people, children, beggars, criminals, women, or racial and ethnic minorities. The writings, especially private ones, of early social statisticians and pioneers of the social survey exude benevolence and goodwill. In print, though, they generally adopted the hardheaded rhetoric of factuality, which permitted women as well as men to assume the role of a scientific social investigator, and not merely of an agent of charity. 77
ここでは,前の文章での「私的なこと」と「印刷物」が対比されていて,「印刷物」における「文体」が問題になっている.後ろの文章では男性と女性の「文体の差」に焦点が当たっているが,そういう話ではない.「単に慈善家としてだけではなく,科学的な社会調査を遂行する役割を,男性また女性にもとれるようにする,実際的な時事にもとづいた文体を彼らは一般的に利用した」.

訳文:しかし,フランクフルト学派の批判は,革命への待望に駆られて,打算的な精神性に敵対するようになった.124
原文:But the Frankfurt critics were moved to oppose the calculative mentality by more than a longing for the coming revolution. 85
Frankfurt criticsというのは,「フランクフルト学派の批判理論家たち」では?

第2部
第5章
訳文:交易で有意となるどんなものを考え出そうとも,信条を撲滅させるための法令が通過した六カ月以内には,東インド銀行の金利は,少なくとも,一パーセントは下落するだろう.そして,われわれの時代の知恵は,これまで五十回以上も危険を冒してキリスト教の維持を図ってきたが,ただ単にそれを破壊するというためだけに,そんな大きな損失を払わねばならない理由など何もないのである.(ジョナサン・スウィフト「英国におけるキリスト教の撲滅」)
原文:Whatever some may think of the great advantage to trade, by this favourite scheme, I do very much apprehend, that in six months time, after the act is passed for the extirpation of the gospel, the Bank and East-India may fall, at least, one per cent. And, since that is fifty times more than ever the wisdom of our age thought fit to venture for the preservation of Christianity, there is no reason we should be at so great a loss, merely for the Sake of destroying it. 87
(Jonathan Swift, “The Abolishing of Christianity in England,” 1708)
実は,スウィフトの原文とポーターが引用しているものがことなっている.原文では,”the Bank and East-India Stock”となっているものが,ポーターでは”the Bank and East-India”となっている.原文では,「イングランド銀行東インド会社の株式」だと思われる.また,原文ではGospelと大文字になっているので,これは「福音」のことだろう.単に「信条」ではない.二文目の構造がどうなっているか,わたしにはわからなかった.

訳:ウォルター・ウィルコックスは,一九四一年に同僚に説明した.会計士には「費用とは何であるかを知りたいとわれわれに期待している大勢の聴衆がいる.費用とは単なる事実ではない.説明しにくい概念である.会計のそのほかの側面と同様,費用は,正確さについて誤った印象を与える.」誰も,SECの主任会計士でさえ,こうした複雑性を否定しないだろう.しかし,ウィルコックスはこれらの問題が注意深い研究によって徐々に克服されるだろうと論じ,標準化を正当化した.
SECはしかし,問題を命令によって克服しようとした.135
原文:Walter Wilcox explained to his colleagues in 1941 that accountants “have a large audience that expects us to know what cost is. . . . Cost is not a simple fact, but is a very elusive concept. . . . Like other aspects of accounting, costs give a false impression of accuracy.” Nobody, not even the chief accountant of the SEC, denied these complexities, though he justified the push for standardization with the argument that they were progressively being overcome through careful research. 94
though he justifiedのheはthe chief accountant of the SECを受けているのでは?

訳:一九七四年に,ヒュー・ヘクロとアーロン・ウィルダヴスキは,財務省の幹部公務員のうち,粉飾決算や専門技官からの助力なしに政府の財政について交渉できる人物はごく少数しかいないことを示唆した. 142
原文:In 1974, Hugh Heclo and Aaron Wildavsky explained how a few top officials in Treasury were able to negotiate the government budget without relying on fancy accounting and without much help from expert staffs. 100
fancy accountingは粉飾決算という訳語もあるが,ここでは「熟達の」という意味では?

訳:経済学は財務省の役人にもほかの行政官にも重要性のないものであった.142
原文:Economics was anything but unimportant to Treasury officials and other administrators. 100
重要でないもの以外の何物かだ,という意味だから.重要でないわけがなかったという意味で,訳文は反対.

6章
訳:政治的で行政的な領域の論争は,経済的合理性を定式化する主要な動機づけとなった.便益と費用の測定をめぐって好まれるレトリックは,合理的な経済人によって自発的に使われる分析の形式に順応していく.
原文:Contests in the political and administrative spheres provided the main incentive to the formalization of economic rationality. A favorite rhetoric surrounding the measurement of benefits and costs naturalizes it as the form of analysis spontaneously used by rational economic actors.
便益と費用の測定を称揚するレトリックによって,便益と費用の測定は,合理的な経済人によって自発的に利用される分析になっていった.itはさすがにA favorite rhetoricではないだろう.

訳:さらに定量的な言葉へ移行することが,数学の基礎知識のある技術者にとって有利に働くであろうと考えれば,効用の尺度が公的な報告や勧告の定型作業として展開されなかったことは,驚きではないだろうか.171
原文:When we consider further that a shift to a quantitative language would have been to the advantage of these very numerate engineers, it may seem surprising that measures of utility were not deployed routinely in official reports or recommendations. 123-4
deployは展開という意味だが,「活用」くらいでいいのでは?

訳:このように典型的な事例では,もし収益が単に費用を上回る場合は,投資に対する利益に派何の貢献もしないが,その線は最低限の楽観的過程にもとづいても一四パーセントの実質利益を生み出すということになった.179
原文:So, in a typical case, if revenue merely covers costs, making no contribution to interest on investments, a line will still yield a real profit of 14 percent even on the least optimistic assumptions. 131
revenue merely covers costsは,「上回」ってはいない.「収益が単に費用をまかなう場合は」だろう.

訳:エコール・ポリテクニークにはほとんど無敵の名声が与えられており,その卒業生は産業界でも行政でも成功をおさめていたので,厳密な定量化が必要なのではという疑いなど,予想されていなかっただろう.このような疑いは,絶えず不安定であった第三共和政の時代には,特に高く評価され続ける必要があった.そこでは科学を,社会的な合意の基礎として,そして教会の保守主義に代わるものとして奉っていた.188
原文:Given the almost unrivaled prestige of the Ecole Polytechnique, and the success of its graduates in industry and administration, one might not anticipate such skepticism about the possibility of rigorous quantification. It ought to have been especially appreciated by the eternally unstable Third Republic, which enshrined science as a basis for social consensus and an alternative to the conservatism of the Church. 137
the possibility of rigorous quantificationは「厳密な数量化が可能かどうかということについての疑念」であって,「厳密な定量化が必要なのではという疑い」ではない.エコール・ポリテクニークの卒業生は数量化をとらなかったことが次の段落でしめされている.また It ought... も間違い.「厳密な数量化は,絶えず不安定だった第三共和政によって,とくに評価されたに違いないのだが」.疑いというとポジティブな含意があるかもしれないが,skepticismにはそういう面はない.

訳:しかし,若干報酬の高い国家の地位でさえ,それは十九世紀に名声をはせた技術者たちの多くが積んだキャリアを定義するものであったが,それだけで土木局の精神を維持するのに十分であった.193
原文:But even the modestly remunerative state positions that defined the careers of many nineteenth-century engineers carried enormous prestige, enough to sustain the esprit de corps of the Ponts et Chaussees. 142
carried enormous prestigeが訳されていない.「若干報酬の高い国家の地位でさえ大変な威信をもっており,それだけで土木局の精神を維持するのに十分であった」だろう.

訳:この理想は,もちろん,現実にはいつでも機能するとは限らない.しかし少なくとも,役人が直属の上司以外の当局から分離することを正当化する.195
原文:This ideal, of course, did not always work in practice, but at least it justified the insulation of officials from authorities other than their immediate superiors. 143
中央集権化についての箇所だが,「直属の上司以外の当局から指示をうけないことを正当化する」くらいだろう.insulationはすこし意訳してもかまわないのでは.

訳:フランスの他のエリートと同様,彼らは信じていたのである.「社会的問題の複雑性がますにつれて,なによりも,幅広い視野をもち,社会全体にかかわる相互に依存し合う膨大な問題を理解する人間が,テクニシャンの限界をこえることができるのである」と.
原文:Like others in the French elite, they believe “that the growing complexity of society’s problems requires, above all, men {whose breadth of view, and understanding of a vast set of interdependent problems[ that involve the entire society], enable them to transcend the limitations of technicians}.”145
フランスの他のエリートと同様,彼らは,「幅広い視野と,社会全体にかかわる相互に依存し合う膨大な問題についての理解が彼らをして技術者の限界を超えさせ,そして社会の問題の複雑性がますにつれてそういった人間がなによりも求められている」と信じていた.くらい?技術者とエリートの差についてのエリートの自己意識を明確に説明しないと通らないのでは.元の訳では”the growing complexity . . . requires men”が訳されていない.

第7章
訳:これにミシシッピ州の治水委員会の委員長ウィル・ウィッティントンは答えた.「もし君のような若造がワシントンにいくときは,後で取り消すような大きな言葉は使えない.それは時間の無駄だ」.203-4
原文:To which the Mississippi chairman of the Flood Control Committee, Will Whittington, replied: “If when you boys come to Washington, you don’t get some big words to take back, it is a loss of time.”151
you don’t get some big words to take backは単に「そんな大言壮語は取り消せないぞ」だろう.

訳:一九五四年に,上院の治水委員会のプレスコット・ブッシュは,カリフォルニアのあるプロジェクトに対する地元の貢献が,「二二,五〇〇ドルと見積もられている」ことを知った.ブッシュが「これはいささか複雑な数式にもとづいて計算されている.この数式の詳細についてあなたをわずらわせたくない」というと,「わかった」と上院議員は答えたのである.210
原文:In 1954, Prescott Bush of the Senate Flood Control Subcommittee learned that the local contribution for a project in California was “estimated at $22,500, sir. It is calculated according to a rather complex formula. I won’t worry you with the details of that formula.” “All right,” replied the senator. 157
この部分は,最初のプレスコット・ブッシュと,最後に返答しているthe senatorが同一人物であり,”estimated at ...”と返答しているのが別人のColonel Starbirdである.ここ(http://books.google.co.jp/books/about/Rivers_and_Harbors_flood_Control_1954.html?id=-SoTAAAAIAAJ&redir_esc=y)で"colonel starbird complex formula"と検索するとわかる.ただ,聴聞会において,上院議員同士が話し合うことはめったにないだろうので,おかしいことはすぐにわかる.

訳:土地改良局は,使命が途絶えないように,灌漑の便益を図る非常に高価な尺度が必要だった. 234
原文:The Bureau of Reclamation needed its extravagant measures of the benefits of irrigation to keep its mission from drying up. 177
extravagantは「気前の良い」くらい.つまり,なんでもかんでも便益としてカウントできる,気前の良い尺度がなければならなかったということ.

訳:しかし,この事例はおそらく,費用便益の基準をほとんど何でも許可する一当局の競争が不幸な効果を及ぼしたことの範例となっただけであった.247
原文:But this perhaps only exemplified the unfortunate effects of competition from an agency whose cost-benefit standards permitted almost anything.181
「一当局からの競合」だろう.一当局だけでは「競争」できない.陸軍技術団に,土木改良局が競争を仕掛けたということ.費用便益の「基準」をほとんど何でも許可するのではなくて,何でも許可する費用便益基準を持った当局だろう.

第三部
第8章
訳:理想型を強調するのはしかたないとしても,この言明は,あまりに限定的である.254
原文:Even allowing for the exaggerations of the ideal type, this is much too restrictive. 194
ウェーバーなのだから,「理念型」の方がいいのでは.

訳:理想は,人間の関与をやめさせることであり,それは積極的介入によって創られる責任を避けるためである.256
原文:The ideal is a withdrawal of human agency, to avoid the responsibility created by active intervention. 196
Human agencyは「人間の関与」ではない.「行為者性」のようなもの.「行為能力」っていう訳語もある.規則に従ってなにごとかをやる人は,「規則に従わないでへんなことをする」という「人間の行為者性」を発揮しないのでよろしいよね,ということ.「人間の関与をやめさせる」ではよくわからない.

訳:それでも,推計統計学が現代に異例の成功をおさめたのは,会計の歴史や費用便益分析の歴史で重要であったのにと同じように,不信や外部者の視線にさらされることへの応答と理解できるにちがいない.
原文:Still, the extraordinary modern success of inferential statistics must be understood partly as a response to conditions of mistrust and exposure to outsiders similar to those that have been so important in the history of accounting and cost-benefit analysis. 200
好みであるのだが,推測統計学の方がいい(Wikipediaの用語としては推計統計学になっているが).

訳:ウォレン・デ・ラ・ルー皆既日食のときの太陽の紅炎の「銘記された表現」を印刷しようと提案した時,「私の描画と写真を混ぜ合わせて」,ジョージ・エアリーは彼を失望させた.
原文:When Warren de la Rue proposed to print “an engraved representation” of solar prominences observed during a total eclipse, “compounded of my own drawing and the photographs,” George Airy discouraged him. 201
ジョージ・エアリーは彼を「失望させた」のではなく,「思いとどまらせた」のである.描画を追加しようと提案したのは,ウォレン・デ・ラ・ルーの方である.元論文にもそう書いてある.
Rothermel, H. (1993). Images of the sun: Warren De la Rue, George Biddell Airy and celestial photography. The British journal for the history of science, 26(02), 137-169.
(http://toddstewartphotography.net/teaching/wp-content/uploads/2012/09/Rothermel_ImagesOfTheSun.pdf)

訳:解釈は,誤りをふくむかもしれない(私はそうでないと信じるが).しかし,太陽の紅炎についての質問は激しく議論された.そしてあなたは司法裁判所の係争中の事例に対するのと全く同じ注意を注ぎ続けるに違いない.263
原文:The interpretation . . . may be fallible (I do not believe that it is), but the whole question about the prominences is strongly debated, and you must proceed with exactly the same caution as in a disputed case in a court of law.”201
全く意味の通らない訳文になっているが,プロミネンスと思われるものを強調するかどうかについての話が続いているので,「(太陽の周りに見えるものがプロミネンスカどうかということについての)解釈というものは間違うものかもしれない(私はそうでないと信じるが),しかしプロミネンスについての疑問は厳しく議論されており,それゆえあなたは司法裁判所で係争中の事例でみられるのと全く同じ注意でもってすすまなければならいのだ」くらい.

訳:二十世紀における数理統計学の顕著な興隆はその答えの一つである.366
原文:The remarkable flowering of mathematical statistics in the twentieth century provides part of the answer. 204
41ページではmathematical statisticsを数学的統計学と訳しているが,ここでは数理統計学と訳している.

訳:農学で実施されたフィッシャーの方法は,厳密な実験が可能であるところでは,臨床試験の事例と同様により厳密に適用しうる.そして比較可能性はランダム化(無作為抽出)によって保障された.266
原文:Where strict experimentation was possible, as in the case of clinical trials, the methods Fisher worked out for agriculture could be applied more rigorously, and comparability assured through randomization. 204
実験におけるランダム化って無作為抽出と同義ではないような.ちなみに無作為抽出は訳者の補遺.この本では,ポーターが実際にカッコを使っている部分もあれば,訳者が使っている部分もあるようなので注意.

訳:ヒルが賛意を示して引用しているが,ある結核の研究者は,臨床医について次のように観察している.臨床医は,「喜んで彼らの個人技芸を,集団的調査に加わるに十分なほど溶け込ませようとする.独立のチームによって承認された患者だけを受け入れようとし,同意の得られた治療計画に同調しようとし,外部の検査者の分析のために,多くの犠牲をふくむ結果を投稿する」267
原文:A tuberculosis researcher, quoted approvingly by Hill, observed that for clinicians to be “willing to merge their individuality sufficiently to take part in group investigations, to accept only patients approved by an independent team, to conform to an agreed plan of treatment, and to submit results for analysis by an outside investigator involves a considerable sacrifice. 204
最後のプロセスの訳がおかしい.submitは動詞だが,この文のメインの動詞ではない.この文のメインの動詞はinvolveである.つまり,途中のプロセスまではうまくいくけど,最後はうまくいかない,ということなのだろうと推測する.「外部の調査者の分析のために結果を提出するにはかなりの犠牲がさけられない」くらいでは.

訳:医学の分野で個人の知的側面を否定するような形での文化政治的な統計学の利用は,単に間違いであっただけでなく,信じられないことであった.
原文:A cultural and political account of statistics in medicine that denied the intellectual dimension would not only be false, but inconceivable. 206
どの単語を「利用」として訳したのかが不明.医学での知的な側面を否定した,統計学についての文化的政治的説明は間違いであっただけでなく,考えられないことであった.

訳:生物学的検定法は,推定に興味を持つ統計学者にとって重要な話題となった.269
原文:Biological assay became an important topic for statisticians interested in estimation. 207
Bioassayは生物検定.

訳:製薬会社は,そのような事柄は規制当局の正統な規制の件以外にあると信じていた.そして効果に逆行する安全性を保証する全体の方針に対して異議申し立てをした.
原文:The drug companies believed such issues lay outside the agency’s legitimate regulatory authority, and challenged the whole policy of assessing safety against efficacy. 207
「効果に対して安全性を評価する方針全体に異議申し立てをした」くらいでは.

訳:しかしテストは概して,専門家によって一度に一人の患者に使われたのである.そしてその信頼性は,臨床の直感的判断とあうかどうかで著しく強化された.272
原文:But the test was generally administered to one patient at a time by an expert professional, and its credibility was greatly enhanced by its ability to match intuitive judgments. 209
その信頼性は,臨床の直感と合致することができるゆえ,著しく強化された.「あうかどうか」ではない.

訳:ダンジガーはまた,心理学者が設計したテストの信頼性は,論理的必然性以外の何物でもないこと示した.273
原文:Danziger also shows that reliance on tests designed by psychologists was anything but a logical necessity. 210
a logical necessity以外のなにかだよ,と言っているのだから,上の訳文ではおかしい.あとrelianceであって,reliabilityではない.ダンジガーはまた,心理学者によって創られたテストを頼ることは,決して論理的必然性ではないことをしめした.

訳:そのようなわけで,現時点では,経済学者も,医師も,心理学者も,分散と確率的価値をふくむ統計学的議論を理解できないと,効果的な仕事ができないだろう.277
原文:By now, an economist, doctor, or psychologist who cannot comprehend statistical arguments involving variances and probability values will work less effectively on that account. 213
確率的価値ではなくて,確率値が正しい.

訳:効果的な規制のためには,「専門家が支持した仮定や,大統領や議会が確証した仮定や,ヒアリングの適正な手続き中のあらゆる証拠の事後確認が,判断にまで到達すること」が必要だ,とグリーンは結論付けている.
原文:The need for effective regulation, he concludes, requires “a presumption in favor of expert agencies appointed and confirmed by the president and Congress that, after hearing all evidence in due process hearings, arrive at a judgment. 216
arriveが受けているのは,expert agenciesだろう.「効果的な規制のためには,大統領と議会によって任命され,承認された専門の機関が適正な手続きにのっとった聴聞会ですべての証拠を聞いた後に判断を下し,それに賛成するという前提が必要であるとグリーンは結論付けている」.

第9章
訳:科学者共同体が公言する知識を擁護するとき,私は科学者共同体が,他のどんな共同体よりもぬきんでた道徳的優位性をもつことをも,擁護している.282
原文:In defending the scientific community’s just claims to knowledge I am also defending the moral superiority of that community relative to any other human association. 217
誰が擁護するかというと,私が擁護するのであって,「私は科学者共同体が公言する知識を擁護することで,同時に科学者共同体が,他のどんな共同体よりもすぐれた道徳的優位性をもつことをも擁護している」だろう.

訳:大部分の哲学者たちもまた,合理性についての社会の考え方をどのように扱ったらよいのか,よくわかっているとはいえない.283
原文:Most philosophers, too, have not known quite how to embrace a social conception of rationality. 217
合理性についての「社会的な考え方」であって,「社会の考え方」では意味が通らない.embraceは扱うなのか?

訳:それでもやはり,政治的議論にあまりはっきりとは貢献しないような分野では,ある程度は知的権威を維持することができていた.
原文:Still, some disciplines that do not contribute much to explicitly political discussion have been able to maintain a large degree of intellectual autonomy.221
Authorityじゃなくてautonomy.かなりの知的な自治を維持できていた.

訳:客観性はいまだに,特に従属させる関心についての事柄を要求している.
原文:Objectivity is still required in some things, especially things of subordinate interest. 224
客観性はいまだにあることがらでもとめられており,特に下位の関心についてあてはまる.

訳:最近,アメリカ政府内の社会科学に関するコメントで,包括性は定量的厳密さの犠牲になることは決してない,と力強く主張するものがあった.しかしこの専門家は,定量的厳密さが社会科学の影響を弱める傾向があると認めた.297-8
原文:One recent American commentator on social science in government argues forcefully that comprehensiveness should never be sacrificed in the interest of quantitative rigor. But he concedes that this is likely to weaken the impact of social science, 230
ここで論じられているのは,包括性と定量的厳密さの関係であって,this is likelyのthisは「定量的厳密さ」を受けているわけではない.「最近社会科学について,アメリカ政府内のコメンテーターは,包括性を計量的な厳密さの犠牲に決してしてはならないと,強く論じた.しかし彼は包括性を計量的な厳密さの犠牲にしないことは社会科学の影響を弱める可能性があると結論付けた」.


7章 (25)
訳:その値のばらつきをより公平に許容する必要性があったことから,なぜ,陸軍技術団が費用便益比に従ってプロジェクトの優先順位を割り当てることを拒んだのかが説明できる.lix
原文:The need to spread its largesse more evenly explains why the Corps refused to assign priority to projects according to their benefit-cost ratios. 252
largesse惜しげもなく金品を与えること,贈り物
「値のばらつき」ではなくて,「予算をより公平に分ける必要があったことから」だろう.なぜこういう訳になっているか疑問.